鎌倉時代は武士や中国の僧の影響を受けて様々な文化が誕生した時代でもあります。
鎌倉時代における歴史物語といえば、どんなものなのでしょうか。
目次
鎌倉時代独自の文化、「鎌倉文化」とは
鎌倉時代は武士による武士のための政治を行った武家政権であり、様々な分野で色濃く武士の気合の影響を受けているとされています。
それは歴史物語などの芸術文学、文化などにおいても言えることであり、それに加えて中国の宋の影響もうけて鎌倉時代独自の鎌倉文化が生まれた時代でもありました、
また、歴史物語などの文学以外にも、荒く猛々しいイメージが強い東大寺南大門の金剛力士像なども鎌倉時代を代表する作品の一つとされ、数多くの文学や文化が鎌倉時代の独自の発展を遂げていきます。
特に、宗教文化においてはそれまで武士や庶民には全く浸透していなかった仏教の教えが変化したことも鎌倉時代の文化の特徴の一つです。
念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けるなど、読み書きができない人でも理解しやすい仏教の宗派が誕生したことから、武士だけでなく庶民にも広く浸透していったとされています。
鎌倉時代を代表する「平家物語」
鎌倉時代を代表する歴史物語として有名な作品は多々あるとされており、戦争や武士のことを描いた歴史物語が多かったようです。
「保元物語」や「平家物語」、「浪平盛衰記」や「平治物語」など実に様々な歴史物語がかかれたとされています。
その中でも、軍記物語として琵琶法師が作った「平家物語」は鎌倉時代を代表する歴史物語の一つと言えるでしょう。
実際には琵琶法師が書いたものというより、琵琶を弾きながら語って歩き、それが何度も語られているうちに立派な文学として確立していったものとされています。
学校の宿題などで暗記させられた覚えのある人も多いのではないでしょうか。
この鎌倉時代は当然ですがテレビもラジオもない時代なので、語り口調で歴史物語を語ってくれる琵琶法師の存在は人々に喜んで迎えられたとされています。
その他には、仏教的な考え方である無常観ということを前面に出して書かれた随筆である「方丈記」や、吉田兼好の「徒然草」なども鎌倉時代の有名な文学作品です。
将軍記のことを書いた歴史物語「吾妻鏡」
この時代の歴史物語、歴史書として吾妻鏡という名前を耳にすることがあると思われますが、これは鎌倉幕府が編纂した将軍記とされています。
記事として、源頼朝、頼家、実朝、藤原頼経、頼嗣,宗尊親王までの各将軍6代頃までそれぞれで書かれており、当時の天皇や上皇、摂政や関白などその当時の時代背景がどのようだったかということまで事細かく書かれている記録の書といっても良いでしょう。
このように、鎌倉時代の歴史物語には様々な物語があったとされています。
一見、鎌倉時代は武士の文化しかないように思われますが、武士たちは教養として藤原俊成や藤原定家などの貴族の中の優れた歌人に和歌を教えてもらうなど、武士特有の文化だからといって貴族の文化が失われたわけではなかったのです。
承久の乱を起こした後鳥羽上皇も、実は歌人として優れており「新古今和歌集」などを作らていますし、将軍としての才覚はいまいちだった源実朝も歌人として優れていたと言われています。