今現代の日本は、一軒家を買うのが得かマンション生活をするのが良いのか、はたまた一生賃貸で過ごすかなど家に対して様々な悩みがあると言えます。
鎌倉時代の民家は、どのようなものだったのでしょうか。
鎌倉時代の民家はどのようなものだった?
鎌倉時代はそれ以前まで続いていた貴族中心の時代から、武士が中心となる世の中となった時代であり、それは住んでいる民家などにも影響しています。
貴族の時代、貴族たちは風通しの良い広い屋敷に住むのが一般的でした。
しかし、武士の時代となると武士たちは風通しや住みやすさよりも実用性を第一に考えた家造りを始めるようになります。
武士の住む住居としては、敵方から攻められにくい高台か見通しの良い平地に作られ、いざ敵の襲撃にあってもすぐに戦えるような住まいだったとされています。
また、この時代の民家の特色として方形竪穴住居という半地下式の住居があったとされており、竪穴式住居に関しても一部ではまだ残っていることもあったようです。
鎌倉時代の農民の生活には差があった?
農民といってもその生活の状況によって差があり、農民であっても豪族のような豊かな生活をしてちゃんと民家に住んでいるような農民もいれば、土地を持たないことから人に借りて畑を耕したり大きな農園を持つところの手伝いをする農民もいるなど実にさまざまでした。
裕福な農民は広い民家に住み、それ程豊かでない農民は掘っ立て小屋のようなところに住んでいたのではないかと思われます。
鎌倉時代となると、板ぶき屋根の民家が道沿いの立ち並び、定期的に開かれていた市で庶民は生活に必要な物を購入していたとされています。
当然、家を構えるくらいの農民であれば、貧しくてもそれなりの良い生活をしていたことが伺えますが、荘園の中に住んでいた農民たちの生活は非常に過酷なものだったとされています。
荘園に住んでいた農民たちは民家なんて夢の夢?
鎌倉時代に荘園に住んでいた農民たちの生活は、荘園領主と地頭との二重支配に苦しみ本当につらい生活だったとされています。年貢として納める米を毎日作らなければならなかったのはもちろん、その収穫量の3~4割、あるいは5割もの米を年貢として荘園領主や地頭に納めていたのです。
加えて、自分たちで生産したはずの米は当然自分たちの口へは入ることなく、武士や貴族に徴収されてしまっていました。
住んでいるところとしては非常に粗末なところで、地べたにむしろを敷いて寝ていたと思われます。
年貢を納めるだけに限らず、武士に頼まれて屋敷の修繕を行ったり橋を架ける、荷物を運ぶなどの労働をただでさせられていました。
加えて、その土地を支配している領主である武士の命令で戦に参加しなければならないなど、農民たちの生活は自由がなく本当に苦しいものだったのです。
最近では、昔風の古民家に住むのがお洒落みたいな風潮になっていますが、鎌倉時代の農民たちに取ったら民家に住むなんて夢のまた夢、という農民も多かったのかもしれません。