鎌倉時代には仏教がそれ以前の時代とは異なる更なる変化を遂げますが、どのような特徴があったのでしょうか。
また、広まった理由についても考えてみましょう。
武士や庶民のための仏教に成長
鎌倉時代の仏教の特徴は何といっても武士や庶民のための仏教に変化していったことではないでしょうか。
鎌倉時代以前の、平安時代まで仏教の特徴はあくまで天皇や貴族が中心であり地位が高い人だけの仏教であったため、彼らの間には浸透したものの武士や庶民には広まらなかったのです。
しかし、平安時代後期から鎌倉時代に入ってから、庶民にも分かりやすい様々な仏教の宗派が誕生することになります。
鎌倉時代の仏教の特徴は、それまでの天皇や貴族が中心のものだけでなく武士や一般の庶民にも広く伝わった仏教であったことです。
鎌倉時代の仏教がそこまで庶民に広まった理由
鎌倉時代以前の仏教は、天皇や貴族にだけ広まっており庶民の生活とは全く無縁の文化でした。
しかし、その一方で庶民の生活は非常に苦しく、救われることを求めていたとされています。
度重なる戦乱に巻き込まれ簡単に命を落とす庶民も多く、また天変地異などによって作物がうまく育たず、口減らしのために生まれた子供を殺してしまうなんてことはざらだったとされています。
そんな絶望の中で、何かにすがりたいと思ってしまうのは人間であれば当然の感情と言えますが、そこで入ってきたのが鎌倉時代ならではの仏教です。
例外もありますが、ほとんどの宗派は南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば極楽浄土に行けるといった教えであり、読み書きもできず自分の名前さえ書けない庶民にとっては唱えるだけで良い仏教は非常にわかりやすくそれは武士にとっても同じだったとされています。
無情な世の中から救われて極楽浄土で幸せに暮らしたいと願う、自分の生活ともマッチしたのではないでしょうか。
禅宗が庶民の間で広まらなかった理由は?
このように、鎌倉時代の特徴ともいえるわかりやすい仏教文化が庶民の間で広まった理由については理解できたと思われます。
ただ、同じ時代に存在していたのに、庶民にはあまり広まることがなかった宗派があるのをご存知でしょうか。
曹洞宗や臨済宗などの宗派も鎌倉時代の仏教文化の一つですが、庶民の間ではあまり浸透しなかったとされています。
広まらなかった理由としてはどんなことが考えられるのでしょうか。
曹洞宗や臨済宗は禅宗であり、座禅を組んで精神を統一して精神の鍛練を測る宗教であり権力者に非常に浸透していったとされていますが、なぜ庶民には広まらなかったのか気になるところです。
その理由としては、精神的な余裕がなかったのが大きな理由として考えられます。
生活は苦しく、精神の鍛練よりも食べていくことに精いっぱいだったため、座禅を組んで悟りを開くような余裕はなかったからこそ、禅宗はあまり庶民の間では浸透しなかったのかもしれませんね。