鎌倉時代の将軍と北条氏の関係について

鎌倉幕府は将軍を幕府のトップとして政治を行ってきました。

鎌倉時代における将軍と北条氏との関係はどのようなものだったのでしょうか。

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北条氏とはどんな人?

鎌倉幕府は鎌倉時代に源頼朝が武士による武士のための政治を行うために開府した政治機関ですが、北条氏とはどんな関係があったのか気になるところです。

鎌倉時代の将軍と北条氏の関係について考える前に、北条氏とはどんな人たちだったのかを考えてみましょう。

北条氏はもともと、桓武天皇の子孫であり平の姓を賜った家系の桓武平氏の一士族とされています。

平貞盛の子供である平維将の子孫とも言われており、伊豆国田方郡にある北条という場所を公領にしたことから北条氏と呼ばれるようになったのが所以のようです。

ただ、鎌倉幕府を開いたのはかの源頼朝であり、なぜそこで北条氏が関係してくるのか気になるところと言えます。

では、なぜ鎌倉時代において北条氏が出てくるようになるのでしょうか。

北条氏が出てくるのは北条政子から

なぜ、北条氏が最終的に鎌倉幕府の中心となって政治を動かすことになったのかという始まりは、そもそも北条政子が関係しているとされています。

北条政子は北条時政の娘であり、のちに尼将軍と呼ばれ鎌倉時代の政治においてのキーパーソンとなる人物です。

そもそもなぜ北条氏が将軍に変わり政権を握れたのかというのは、この北条政子がいなければ何の話にもならないというほど重要な人物でもあります。

その理由は、多くの人がご存知の通り源頼朝の妻となった人だからです。

その父親である北条時政は、源頼朝が伊豆に流された時にその監視役としてついた際、自分の娘の北条政子と源頼朝が良い関係となるのを知ると、平家の武士と結婚させるためにも一度は別れさせようとしたのですが、北条政子を落としたことを見込んで源頼朝の協力者となるのです。

つまり、源頼朝と北条氏の娘であった北条政子が結婚することで、北条氏が将軍にとって重要な一族となったと言えます。

なぜ鎌倉幕府は北条氏が政権を握ったの?

確かに、奥さんの実家が北条氏だったとしたら少し鎌倉幕府の政権を手伝ってもらうようなことをするのも当然かもしれませんが、だからといってなぜ北条氏が鎌倉幕府の政権を握ることになったのか疑問です。

源頼朝と北条政子との間に生まれた子供は、北条政子の所生であるわけですから当然将軍職を継ぐことになり、それによって幕府内における北条氏の勢力が拡大化してくるようになるのです。

まず、源頼朝の義理の父となった北条時政は鎌倉幕府における将軍のサポート役となる初代執権となるのですが、これには裏事情があったとされています。

源頼朝が亡くなった後北条時政は自分が鎌倉幕府の実権を握りたいがためにその息子、つまり自分の孫である第2将軍となる源頼家を暗殺し、源実朝が第3将軍となりますが後継者争いに巻き込まれ結果的に源実朝も暗殺されてしまいます。

その後、将軍のいなくなった鎌倉幕府は源頼朝の妹で外孫である2歳の幼い藤原頼経を第4代将軍としてたてますが、当然幼い将軍に政ができるはずもなく、結果的に北条氏が政治の実権を握ることになるのです。

北条氏が鎌倉幕府の実権を握るようになると将軍はただお飾りであり、成長して言うことを聞かなくなると謀反の疑いをかけて京都に送り返してはまた新たな幼い将軍を迎える、というサイクルを最後の第9代将軍である守邦親王まで繰り返していくとされています。

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