鎌倉時代の有名な坊主といえば?

坊主とは、お寺などにいる主である僧侶のことを指しますが、鎌倉時代には数多くの坊主が登場しています。

その中でも、鎌倉時代を代表する坊主としてはどんな人がいるのでしょうか。

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鎌倉時代に新しい仏教を唱えた坊主たち

鎌倉時代の大きな特色としては、貴族だけでなく武士や庶民にも分かりやすい仏教文化が浸透したことです。

鎌倉時代以前までは、仏教は貴族の間でしか広まらなかったのですが鎌倉時代はさらにわかりやすくなったことから、読み書きができない武士や庶民にも広まっていったのです。

その鎌倉仏教の教えを説いたのが、鎌倉時代を代表する坊主たちです。

浄土宗を説いた法然は、南無阿弥陀仏を唱えると極楽浄土に行けると説いた坊主であり、親鸞は一向宗とも呼ばれる浄土真宗を開きました。

一遍は、踊念仏によって境地を開いた時宗を開いた坊主ですし、日蓮が開いた日蓮宗は法華経とも呼ばれます。

曹洞宗の道元や、臨済宗の栄西はともに禅宗を開いた坊主であり、鎌倉時代を代表する有名な坊主といっても過言ではないでしょう。

お茶坊主?栄西上人

臨済宗を開いた栄西上人は、禅宗を学ぶために宋に二度も渡るのですが禅宗だけでなくお茶も一緒に持ち込みます。

宋の禅宗寺院では、修行の合間にお茶を飲む習慣がありそれを見て日本においても同じことが出来ないかと考えたのではないかと思われます。

お茶を持ち込んだだけでなく、お茶に関する日本で初めての書である「喫茶養生記」を記し、深酒で不健康だった源頼朝にこの本を献上し健康について説いたとされています。

お茶の栽培に関しても尽くした人であり、この後の室町時代に茶の湯が発展したのもこの栄西上人の努力の賜物だったのではないでしょうか。

坊主になっても将軍をやった北条政子

鎌倉時代に有名な坊主といえば、女性でありながら出家して幕府を率いた北条政子ではないでしょうか。

尼将軍と呼ばれた北条政子は、源頼朝の死後も幕府を引っ張っていくようになるのですが、源家が3代で滅亡した時(自分の子供も殺害されたのですが)、後鳥羽上皇が幕府を滅ぼそうと承久の乱をおこします。

源頼朝についていた御家人たちは朝廷の勢いにおじけづきそうになるのですが、その際に北条政子は後世に残る名演説をするのです。

源頼朝の恩義を今こそ返すためにも、将軍の意を果たすために後鳥羽上皇を倒すことを誓わせるのです。

この鎌倉時代、天皇や上皇に逆らうのは一族への処罰が免れなかった時代ですが、源頼朝のこれまでの御恩を思い出した御家人たちは、見事後鳥羽上皇の挙兵を鎮圧させます。

北条政子は女性としても心優しく良き母であるとともに、それでいて源頼朝の浮気相手に嫉妬するなど坊主となっても実に人間らしい人であったとされています。

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