鎌倉時代の日本と琉球王国の関係は?

鎌倉時代は武士が台頭して武士による政治を始めた新たな時代でもあります。

そんな鎌倉時代と琉球王国の関係はどのようなものだったのでしょうか。

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琉球王国とは?

今更そんなことを説明されなくても、と思われる人もいるかもしれませんが念のため簡単にご説明させていただきます。

琉球王国は、北は奄美諸島から南は八重山列島に至るまで日本の南西諸島に築かれていた王政の王国で、約450年間続いたとされています。

日本の鎌倉時代に当たる12世紀ごろから徐々に政治的勢力があらわれ始めるようになり、按司と呼ばれる豪族が各地で力を付ける中でやがて尚巴志という人物が按司統括を行い、琉球王国の統一を確立するようになります。

その後の海洋王国として日本や朝鮮、東南アジアなどと外交や貿易を重ねて発展していくようになりますが、日本が明治時代に入ると日本政府は首里城に軍隊を派遣して、その当時の国王を追放して沖縄を設置することになります。

つまり、琉球王国は鎌倉時代の頃に徐々に力をつけ始めて統一された王国であったというわけです。

鎌倉時代の幕府と琉球王国の関係は?

では、鎌倉時代の幕府と琉球王国はどのような関係だったのでしょうか。

琉球王国は一つの国であり幕府の支配下にあったわけではなかったため、外交や貿易などで交流があったのではないかと予想される人もいるかと思われます。

琉球王国には自国の産物が少なかったことから、諸外国から貢物を購入するしかなく、その分諸外国との貿易もさかんだったのではないでしょうか。

今では数多くの珍しい果物や食べ物があるイメージの沖縄なので、産物がないと言われると信じられない人もいるかもしれませんが、実際はそうだったようです。

また、鎌倉時代においてはあまり琉球王国との交流はなかったとされているようです。

数百年間も交流がなかったとされているのですが、その理由としては日本国内が内乱で落ち着かなかったのが大きな理由なのではないでしょうか。

実は、鎌倉時代に琉球に住み着いた人々の末裔は源氏との戦いに敗れた平氏であったという説もあるため、実際に交流を持っていたとしても源氏の武士が政権を握っている鎌倉幕府とは交流を持ちたいとは思っていなかったかもしれませんね。

室町幕府の扱いはひどかった?

琉球王国は日本と交流を持ち始めたのは鎌倉時代ではなく、その後の時代である室町時代だとされています。

前述したように、鎌倉時代は内乱で日本国内が荒れていたため琉球と外交や貿易をしている余裕はなかったのかもしれません。

室町時代になると、琉球王国は日本から鉄を輸入して農具を作り農民に道具として配っていたとされています。

ただ、室町時代の幕府の琉球王国に対する幕府の対応は散々なものだったようです。

琉球王国は一度日本に使者を出したにもかかわらずひどい対応をされたり、明の属国であった琉球王国に対して「明を攻めるので物資を指し出せ」という要求を日本が出すなどしたため、日本と琉球王国の関係はあまり良くなかったとされています。

また、江戸時代になると薩摩藩の支配によって江戸幕府に組み込まれるなど、鎌倉時代以降の日本の琉球王国に対する扱いはひどかったことが伺えます。

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