鎌倉時代は農民は重い年貢や苦役に苦しんでいたとされています。
呼び方として農民のことを百姓と呼ぶこともありますが、一般的に百姓と農民の違いはあるのでしょうか。
鎌倉時代における百姓と農民の違いは?
鎌倉時代に収めていた税はまだ貨幣ではなく米や作物であることが多かったため、畑を耕し作物を育てるのには農民がいました。
今現在では百姓と農民はほぼ同じものだとされていますが、以前は別の意味でとらえられることが多かったようです。
まず、百姓というのはもともと「ひゃくせい」と発音し、様々な仕事をする人という意味があったとされており、民草などと同じ同義語とされていました。
農民はもちろん、農業に従事する人というわけであり職業別の階層がはっきりしていたと言えます。
鎌倉時代となると、百姓も農民もほぼ変わらない扱いとなり、同じように名田を分割編成され年貢や公事、夫役などの納入責任を負ったとされています。
結果的に百姓も農民も同じということになるのでしょうか。
百姓の一日の生活は?
では、百姓や農民は鎌倉時代どんな生活をして過ごしていたのでしょうか。
一日の生活について考えてみましょう。
まず、朝の日の出とともに起き出すとまず初めに農作業を行います。
田植えや稲刈りなどの繁忙期は忙しいため、日の出とともに起きるのでは間に合わないので暗いうちから準備を始めることもあるようですが、ある程度作業が終わったら朝ご飯を食べて、また農作業に移ります。
鎌倉時代の食事は1日2食が一般的だったため、昼ご飯を食べずに夕ご飯時までそのまま農作業を続けていました。
お昼ご飯も食べずに休みもせずに朝から晩まで農作業をしているのも普通だったのではないかと思われます。
百姓や農民は非常に苦しい生活を強いられていた?
鎌倉時代の百姓と農民の生活はこれだけではありません。
鎌倉時代は庶民といえば荘園の中に住む百姓や農民がほとんどだったため、その荘園を管理している領主や武士の言うことには逆らえなかったとされています。
毎日の辛い農作業に加えて、領主の屋敷の修繕をしたり、橋を作る作業をしたり荷物を運ぶなど、ただ働きをすることも多かったようです。
また、戦の際には武士に戦に駆り出されることもあったとされています。
武士のように武芸に励んでいたわけではないのにいきなり人手が足りないから戦争に参加してくれと言われても本来なら無理は話ですが、鎌倉時代当時の百姓や農民にはそれを拒否する権限はなかったとされています。
武装した農民や自衛団が武士となったものの、元から武士の才覚があれば良いですが全く経験や才能がないのに怪我をしたり命を落とす危険もある戦に行かなければならないのは、本当につらかったのではないでしょうか。