鎌倉時代には数多くの仏教の宗派が誕生します。
その中でも、宋から伝わった禅宗はどのようなものだったのでしょうか。
宋から伝わった禅宗とは
鎌倉時代に宋から伝わった禅宗ですが、そもそもはどんな宗派だったのか考えてみましょう。
禅宗の歴史は古く、西暦520年頃に菩提達磨というお釈迦様の28代目の祖師が、インドから中国へと布教に来た際に伝わった仏教の教えの一つです。
禅宗の教えとしては、すべての人の心には仏性というものがあり、それを座禅を組むという修行によって再発見し、自ら実体験をすることでその心理を知ることを目的としています。
また、禅宗は鎌倉時代だけでなく江戸時代にも隠元の黄檗宗が伝わり発展していったとされています。
ちなみに、この菩提達磨は非常に有名な人でありお正月や祈願成就の際に購入する「だるまさん」も、この菩提達磨がモデルとなっているようです。
鎌倉時代にどのように伝わったの?
鎌倉時代に伝わったとされる禅宗は、宋からどのように伝わったのでしょうか。
鎌倉時代には栄西という僧が南宋代の中国に渡り、天台山の万年堂で禅宗を学び、帰国後に臨済宗黄竜派を伝えます。
都での禅宗の布教は困難を極めたものの、その後博多に初めて禅宗の寺である禅寺聖福寺を建てることになります。
栄西の没後、今度は道元という僧が宋に渡り、天童山の景徳寺で如浄禅師という人の指導を受けて禅宗を学び、座禅を中心とした修行を実際に体験して帰国後、曹洞宗を開きます。
その他にも、鎌倉時代には様々な仏教の宗派が誕生し武士を始め庶民の間でも深く浸透していったとされています。
庶民にはあまり広まらなかったのはなぜ?
このように、座禅を組むことで悟りを開き精神の鍛錬とする禅宗の修業は権力者の間で広まり浸透しました。
ただ、武士や庶民にはこの禅宗はあまり人気がなく、浸透しなかったとされていますがその理由はどんなことなのか気になるところです。
鎌倉時代以前は仏教は天皇や貴族を始めとする偉い人たち向けのものだったため庶民もあまり関心はなかったのですが、鎌倉時代に入り仏教の教えをわかりやすくしたことから、武士だけでなく庶民の間でも仏教は広まったはずなのです。
そのため、決して庶民に信仰心がないわけではないと思われますが、なぜ禅宗は他の仏教の宗派のように庶民には受け入れられなかったのでしょうか。
その理由としては、禅宗の修業が関係しています。
禅宗の修行として、全く飲まず食わずのままただ座禅を組み悟りの境地を開くというが一般的なのですが、今現在で考えてみてもその修業が非常につらかったことが伺えます。
鎌倉時代の庶民というのは、食べるものさえ十分に食べられない貧しい生活をしている人たちも少なくありませんでした。
つまり、生きていることに精いっぱいで精神の鍛錬のために修行をしようと思う余裕はなかったことが考えられます。
だからこそ、禅宗は庶民の間ではあまり浸透しなかったのではないでしょうか。