鎌倉時代の二重支配について

鎌倉時代といえば様々なところで二重支配が行われていた時代でもあります。

では、どのような場面で二重支配だったのでしょうか。

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朝廷と幕府による二重支配

鎌倉時代は二重支配が盛んに行われていたい時代でもありますが、どんな場面において二重支配だったのでしょうか。

鎌倉時代はそれ以前の時代である貴族が政治を行っていた時代より新しく、日本史において武士が台頭して武士による政治を行った初めての時代でもあります。

武士が中心となって幕府で政治を行っていましたが、だからといってそれ以前の時代まで政治を行っていた朝廷の権力も完全になくなったわけではありませんでした。

そのため、鎌倉時代以前の時代から続く朝廷と、それ以降に新しく始まった幕府による政治との二重支配になっていたのは言うまでもありません。

それに影響して、様々な場面でも二重支配は続いたとされています。

地頭や荘官、国司などによる二重支配

朝廷による政治と幕府による二重支配となった鎌倉時代ですが、それは庶民の生活を圧迫することになります。

政治体制が二重支配ということは、当然のその下の管理なども二重支配になるということになります。

奈良時代から進化し貴族や僧侶などの偉い人の持ち物だった荘園は、鎌倉時代に入って正式に地頭や荘官が管理をすることが認められますが、だからといってそれまでの荘園を管理していた領主がいなくなるわけではなく、いわゆる二重支配だったとされています。

また、鎌倉時代以前の時代より存在していた国司に加えて、幕府から派遣された守護が治安維持など警察のような役割をするようになったことから、ここでも二重支配が行われていたとされています。

庶民の生活は苦しかった

鎌倉時代以前の時代に比べたら、比較的に庶民に近い立場の武士が台頭し中心となる時代になったことで庶民の生活も徐々に変化し良くなってきたことは確かと言えます。

それまで、触れる機会さえなかった仏教の宗教観に触れることが出来たのも武士が政治を始めたことで庶民にも浸透していくようになったのですから、武家政権となったことは庶民にとってもメリットがあったと言えます。

しかし、二重支配からも分かるようにやはり庶民はあくまで支配される側であり、庶民の生活も非常に苦しいものでした。

それは今現在の日本においても同じことが言える部分もあることを考えると、、やはり庶民という存在は搾取される側というスタンスはいつまでも変わらないのかもしれません。

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