源頼家ゆかりの地、三島での史跡めぐりと観光スポットは?

源頼家は、鎌倉幕府を作った初代将軍・源頼朝の息子で、頼朝の急死によって18歳で家督を相続しました。

今回は静岡県三島市に残る、2代目将軍頼家ゆかりのお勧めの史跡をご紹介します。

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悲劇の2代目将軍・源頼家

源頼家は、寿永元年(1182年)8月12日に源頼朝の嫡男として、鎌倉比企ガ谷にある比企能員の屋敷で生まれました。

源氏の後継者の誕生に周囲の祝福を受け、頼家は狩り遊びなど武芸に長けた人物に育ったと伝えられています。

1199年に父・頼朝が急逝、18歳になっていた頼家は家督を継ぎ、征夷大将軍となって名実ともに鎌倉幕府2代目将軍になりました。

頼家は父・頼朝のように御家人の上に君臨しようとするのですが、頼家ば年若だったこともあり、人望も政治力もありません。

偉そうに振舞う頼家に対して、御家人たちの不満がたまっていき、結果として1203年に頼家は将軍の座を追放されてしまいます。

その背景には頼家の乳母が比企氏、弟の実朝の乳母が北条氏だったことが絡んでいて、頼家の失脚は北条氏の陰謀だったとされています。

その後、頼家は母の北条政子に出家させられ、しばらくして伊豆の修善寺に幽閉、そして幽閉先で謎の死を遂げるのです。

源頼朝が源氏の再興を願って崇敬した三嶋大社

三嶋大社の創建については諸説ありますが、古くからこの地にあったと奈良・平安時代の古書にも記録が残っています。

中世以降、伊豆に配流された源頼朝はこの三嶋大社を崇敬して、源氏再興を祈願しました。

源氏の再興が成功し、頼朝はますます三嶋大社を崇敬するようになり、社領・神宝を多数寄せることになり「日本総鎮守」と仰がれていた時代もありました。

その後も頼朝に倣い多くの武家からの崇敬を受け、平成12年には本殿が重要文化財に指定されています。

三嶋大社の宝物館には、源氏ゆかりの国宝など多数の所蔵・収蔵品があり、大切な資料として展示されています。

頼家ゆかりの光照寺

光照寺は三島市ではなく伊豆の国市・韮山にある、静かな佇まいのお寺です。

「増訂豆州志稿」という、江戸時代に編纂された伊豆国の代表的な地誌によると、光照寺 は近くにある願成就院の子院であったと伝えられており、また源頼朝の宿場跡との記述もあります。

また、光照寺は北条時政が源頼朝のために建てた屋敷跡で、頼朝の死後に寺になったとも伝わっています。

発掘調査で鎌倉時代初期の井戸が発見され、また中世の石塔の残欠が複数確認されました。

光照寺には、源頼家の面が収蔵されています。

修善寺に幽閉されていた頼家の面貌を彫った面を鎌倉へ使者が運ぶ途中に、光照寺の辺りで頼家が他界したという報を受けて、面を光照寺に収めて立ち返ったという伝説が残っています。

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