鎌倉時代、元寇によってなぜ御家人の生活は困窮したの?

鎌倉時代に起こった元寇は、鎌倉幕府の滅亡へとつながることになります。

御家人の生活にも影響するようになるのですが、なぜ御家人の生活は元寇によって困窮することになったのでしょうか。

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元寇ってどんな出来事?

鎌倉時代に起こった元寇で御家人の生活は困窮しその結果幕府への不満が膨らみ、倒幕蜂起へと発展してしまいます。

なぜ、元寇によって御家人の生活は困窮してしまったのでしょうか。

それを考える前に、まずは元寇についておさらいしてみましょう。

そもそも元とは、チンギス・ハーンのその孫であるフビライハンがモンゴルから中国の一部の大陸を支配しそこに築いた王朝であり、その当時は朝鮮半島にある高麗も自分の国の属国としていました。

ベネチアの商人であったマルコポーロが、東方見聞録で日本のを黄金のジパング」と褒め称えたことをきっかけに日本に興味を持ち、「あなたの国は自分の国の属国になるべきです」と言った内容の国書を使者を通じて鎌倉幕府に対してたたきつけるのです。

鎌倉時代、その当時の執権であった北条時宗はこれを拒否して、防衛に努めます。

当然、自分たちの意思を無視した日本を属国にするべく、元は日本に襲来するのですが、御家人たちの必死の抵抗によって元の兵士を撤退させることになります。

そして、次の襲来に備え幕府の命令によって御家人たちは石塁造りなどをして国内防衛に備えることになります。

恐れていた二度目の襲来は、二か月間にも及ぶ戦となりましたが、御家人たちの必死の抵抗や戦いによって元の兵士を撤退させることができたために、日本は元の属国にならずに済んだのです。

報酬が十分もらえなかった

元の襲来を二度も回避し、日本を元の属国にさせずに済んだのは御家人たちの働きによるものでした。

それなのになぜ、御家人の生活は困窮していったのでしょうか。

本来、御家人たちは幕府のトップにいる将軍のために一族が一丸となって働いたその功績に、戦で得た土地やその他の土地を褒美としてもらい受けていました。

鎌倉時代、土地というのは財産であり自分の所領を広げることは財産が増えることにもつながったのです。

しかし、元寇の場合日本が相手の地に攻め入ったのではなく、元が兵士を連れて襲来してきたため戦には勝利したもののその土地はもともと日本の土地であったため、土地を褒美としてもらうことが出来ませんでした。

また、元の襲来に備えて自分の私財を投げうって石塁や防壁造りをしたために、お金が減ってしまっていたのです。

それは、幕府においても同じことであり、元寇によって属国にならなかった引き換えに自分たちの財産がなくなってしまったために、結局マイナスの結果に陥ってしまったことになります。

そのため、御家人は生活するためのお金が無くなったことで金貸しなどに借金をしてどんどん借金が膨らみ、結果的に御家人の生活は困窮していくことになったのでした。

永仁の徳政令を出すものの効果がなかった

幕府も御家人も、元寇による戦いでは十分な利益を得られず逆に困窮していったことで、御家人たちは幕府に対して不満を持つようになります。

このままではいけないと感じた当時の執権であった北条貞時は、永仁の徳政令を発布し褒美を与えられない代わりに借金を帳消しにする法律を作ったのです。

ただ、この法律はあまり役に立たず、結局御家人の生活を苦しめることになりました。

御家人にお金を貸しても返ってこないことを知った金貸したちは、御家人に金を貸さないようにしたのです。

生活をしていくのに必要だから借金してまでお金を借りていたのに、幕府が余計な法律を作ったことでますます御家人の生活が苦しくなれば、当然その不満が幕府に行ってしまうのは明らかです。

そして、この出来事をきっかけに徐々に御家人たちの幕府に対する不満が強まり、鎌倉幕府の滅亡の道を辿っていくこととなったのでした。

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