鎌倉時代などの中世では様々な神秘的なことがあったのではないかと思われます。
鎌倉時代における伝説としてはどんなことがあるのでしょうか。
鶴ヶ池の伝説
鎌倉時代の伝説として有名なのは鶴ヶ池の伝説ではないでしょうか。
源頼朝の父である源義朝が平氏の戦いに敗れた後、三人の子供を伴って逃げ延びますがその間に源頼朝の兄たちは命を落とすことになります。
生き残った源頼朝も伊豆に流されて平氏の監視下で暮らすようになりますが、その後自分自身で仇である兵士を破り、鎌倉に幕府を開いたのです。
鎌倉幕府を開府して全国統一をした後、東海道を通って京都に上がる際に亡くなった兄である源頼長の供養をしたとされています。
その放生会の儀式として、近隣の庶民がたくさん鶴を飼っていたのを知るとその鶴を10羽ほど貰い、黄金の札を付けていけで放ったのです。
それ以降、源頼朝が鶴を放った池は鶴ヶ池と呼ばれるようになったとされています。
源義経の生き残りはチンギス・ハーン?という伝説
源義経は兄である源頼朝と協力して平清盛を討伐したヒーローなのですが、勝手に天皇から褒美をもらったことで兄の怒りを買い、結果的に殺されてしまいます。
しかし、殺されたはずの源義経が実はチンギス・ハーンとなったモンゴル帝国を支配していたという伝説があるのです。
モンゴル帝国は、元と名前を改めた後日本の元寇として二回に渡り襲来してきていますが、それも源頼朝に対する恨みがあったのが原因ではないかといわれているのです。
また、チンギス・ハーンと源義経の背格好が似ていたことや、共に名前で似ている部分があった、チンギス・ハーンが日本にしかない武器を使っていたなどの理由もあるとされていますが、源義経の首はしっかりと源頼朝が確認しているので事実とは異なるのではないかと思われます。
朝比奈三郎の伝説
朝比奈三郎は宮城県黒川郡大和町に伝わる伝説の巨人です。
朝比奈三郎は、弓の稽古をしようを思った時にちょうど良い的が見つからなかったため、的を山にすることを考えるのですがそうやって作ったのが的山と呼ばれる薬菜山と矢喰山の二山と言われています。
また、的を作る際に鹿児島台から7回運んだ山は7つの山になり、山を作るために掘った部分がそれぞれ品井沼、歩いた道が吉田川になったという伝説があるのです。
実は、この朝比奈三郎にはモデルがおりそれが鎌倉時代に実在した剛力の武将、朝比奈義秀とされているのです。
彼は後に戦に敗れて逃げ延びることになるのですが、吾妻鏡にも活躍が記されるほどの武将の名を何とか残したいと思った人たちが、朝比奈義秀を伝説の巨人に仕立て上げたのかもしれません。