鎌倉時代の役職にはどんなものがあるの?

鎌倉時代、政権を担う幕府にはどのような役職があったのでしょうか。

鎌倉時代に設置された役職についてかも考えてみましょう。

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鎌倉時代の役職はどのようなものがあったの?

鎌倉時代はそれまで天皇や貴族が中心となって政治を動かしてきた朝廷に代わって、武士が政治を握る初めての武家政権とされていました。

言ってみれば、それまで代々続いてきた貴族たちによる政治から武士の政治となることから、様々な違いあり役職もたくさんあったことが考えられます。

では、鎌倉時代の役職としてどのようなものがあったのでしょうか。

鎌倉幕府の役職は幕府のトップである将軍の下にそれをサポートする執権、執権の補佐役である連署がおり、そのさらに下には9つの役職があったとされています。

9つの役職はそれぞれ独立しており、大切な仕事を担っていました。

それぞれの役職はどんな仕事をしていたの?

今度はそれぞれの役職の仕事内容についてどんなことをしていたのか考えてみましょう。

まず、9つの役職としては侍所、政所、問注所、評定衆、京都守護、鎮西奉行、奥州総奉行、そして守護、地頭がありました。

侍所は、主に御家人たちの統率や軍事・警察の役割を担っており、政所は一般財務、問注所は裁判や訴訟などの司法関係、評定衆は司法・行政・立法の管轄を行っておりその下には引付衆という役職がありました。

その他の役職として京都守護は京都における治安維持や朝廷とのやり取りを管轄する役職で、のちに六波羅探題と名前を改めることになります。

鎮西奉行は九州の御家人の統率、奥州総奉行は奥州の御家人の統率などを担当し、守護は国単位で設置された治安維持の役職であり、地頭は荘園や公領、叉は兵士から没収した土地を管理する権利であるため守護が兼任することもあったとされています。

鎌倉時代に守護と地頭を設置した理由

守護と地頭は源頼朝が征夷大将軍に任命された際に、朝廷に守護と地頭を地方に設置することの許可をもらうことで設置することが出来たとされています。

なぜ、地方に守護と地頭を設置したのかという理由は、逃亡した源義経の逮捕を目的としていたのですがそれが表向きの理由であり、本来の目的は守護と地頭を設置することでより幕府の勢力を高めることが本当の目的だったとされています。

鎌倉時代、確かに武士が中心となって政権を握る時代ではありましたが、だからといってそれまで政権を握っていた朝廷も勢力が衰えつつあったもののまだまだ完全に力を失っていたわけではありませんでした。

そのため、いつ倒幕され朝廷が中心の世の中になってもおかしくなかったため、地方に幕府の味方を見つけてより幕府で管理できるようにするためにも、地方の御家人たちと信頼を築き味方を増やす必要があったため、守護と地頭を地方に設置したとされています。

やがて、守護は力をつけて守護大名へと成長し、やがては戦国大名としてその名を轟かせる存在も出てくるようになるのです。

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