鎌倉時代における幕府と武士の関係とは?

鎌倉時代において幕府と武士の関係は非常に大切なものとされています。

では、実際にはどのような関係だったのでしょうか。

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鎌倉時代に確立した封建制度

封建制度は鎌倉時代より始まった新しい制度とされており、幕府と武士の関係を考える上でとても重要な制度とされています。

鎌倉時代以前の日本では、天皇を中心とする皇族や貴族が政治を行っておりあくまで日本の土地やその土地に住む人民たちはすべて朝廷のものとされていました。

自分たちが住んでいる土地も自分たちが所有者と認められていないばかりか、朝廷が国の治安維持に関して軍事や警察を立てるなどといったことを放棄したことにより、何か襲われたりした場合にはそこに住んでいる農民たちが武装して守らなければなりません。

武装農民、それこそが武士の始まりだったとされており、武装農民たちはやがて地方領主、そして武士へと変化していきます。

とにかく武士たちにとっては自分たちの領地を「あなたたちが所有者です」と公認してもらう必要があったのです。

領地を自分たちのものであると公に認めてくれたのが幕府であり、その領地を持った地方領主、つまり武士と幕府が主従関係を結ぶ制度が封建制度であり、鎌倉時代において確立されたと言われています。

また、幕府と武士の関係を語る上で欠かせないのが「御恩と奉公」ですが、実際にはどんなものなのか考えてみましょう。

御恩と奉公はどんな関係?

鎌倉時代において幕府と武士の関係を語るのに、「御恩と奉公」は外せない事柄と言えます。

御恩とは幕府の頂点にいる将軍が御家人である武士たちに対し、戦などで活躍し幕府に協力した見返りとしてその戦で得た土地の所有権が御家人にあることを保証し、それと同時にもし功績があった場合には報酬として戦で得た土地を与えることを指します。

奉公は、今度は御家人である武士たちが将軍や幕府に対して恩返しをすることに当たります。

御家人たちはもし戦となれば率先して戦場に赴き、一族を率いて将軍のために戦い忠誠を誓ったとされており、これが奉公に当たります。

御恩と奉公は鎌倉時代の日本において非常に大切な主従関係であり、この関係があったからこそ鎌倉幕府が150年も栄えた理由の一つであるといっても過言ではないかもしれません。

それだけ、御恩と奉公によって幕府の頂点にいる将軍と御家人である武士たちは固いきずなで結ばれていたのです。

幕府と武士の関係に暗雲が漂い始めた元寇

鎌倉時代は幕府と武士の関係が濃かったからこそうまくいっていたのですが、その関係に亀裂が入り始めたのが元による元寇があった時だとされています。

チンギス・ハーンが築いたとされるモンゴル帝国であった元は日本を属国にしようと攻め入ってくるのですがそれを何とか御家人たちの努力により食い止めることが出来たのです。

本来であれば、戦に勝利した場合その土地を御家人たちの領地と認めることで御家人たちに対して幕府側からの報酬として支払われていたのですが、元寇の場合そもそも元の土地で戦をしたわけではないため土地を得ることが出来ませんでした。

加えて、2度目の襲来に備えて石垣を作るなど準備に備えたのに幕府側からの報酬がもらえないままの御家人たちは困窮し、徐々に不満が募ってきます。

永仁の徳政令など、御家人の借金を解消する法律なども出しましたがあまり効果が期待できず、鎌倉幕府が開府されてからずっと続いてきた幕府と武士の関係である御恩と奉公の主従関係が崩れ、倒幕の蜂起が強まってきたことにより、鎌倉時代が終わりを告げてしまうこととなったのです。

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