鎌倉時代の武士の身分はどのようなものだったのでしょうか。
また、武家政権となった世の中で文化にはどのような影響があったのか考えてみましょう。
そもそも武士の始まりは何?
鎌倉時代はそれまで貴族が中心で行っていた政治から、武士が中心となって政治を行う時代となり、その世の中は様々な点で一変したとされています。
鎌倉時代以前の時代では、政治の中心となる朝廷は京都にありましたが、源頼朝は幕府を鎌倉に置き幕府の勢力や支配を高まる目的で全国に守護や地頭を設置します。
武士は、平安時代末期から徐々に力をつけていくようになるのですが、そもそも武士はどんな身分の人だったのかご存知でしょうか。
実は武士は元々農民であり自分たちの開墾した土地を盗賊等から守る目的として武装したり自衛団を組んだことが武士の始まりとされています。
あるいは、荘園を管理していた荘官が武装しそこからさらに発展して武士となることもあったようです。
鎌倉時代になって幕府を開くと、その幕府のトップである将軍殿と主従関係を結んだ武士は御家人と呼ばれ、戦の際には命を懸けて将軍殿のために戦う代わりに、戦で功績をあげた際にはその戦で獲得した土地を自分の所領として認めてもらう封建制度が鎌倉時代の基本とされていました。
このように、もともと武士は農民の出であったことから貴族よりも庶民に近い考え方もあり、様々な文化においても広がりを見せることになります。
鎌倉時代の武士の身分は?
では、鎌倉時代の武士の身分はどのようなものだったのでしょうか。
政治を中心となった存在ですから、さぞかし身分が高かったのではと考える人も多いかもしれません。
しかし、鎌倉時代にはまだ身分制度というものは存在せず、支配される側と支配する側に分かれていただけだったようです。
天皇や貴族など、身分がはっきりした存在の人もいたとされていますが、鎌倉時代の武士においてはそこまで身分がはっきりしていたわけではなかったとされています。
武士の身分が本格的に確立されるようになるのは、鎌倉時代よりももっと後世の時代である江戸時代の頃になります。
武士は文化にどのような影響を与えた?
武家政権となった鎌倉時代ですが、その時代の文化にはどのような影響を与えたのか気になるところです。
鎌倉時代の文化の特徴としては、日宋貿易が盛んであったことから宋の影響を色濃く受けながらまた武士特有の素朴で力強さに溢れたものが多く、貴族や武士だけに限らず庶民にまで広がっていったのが特徴です。
宋の最新の建築様式で建てられた東大寺南大門の左右にそびえたつ金剛力士像は、鎌倉時代を代表する彫刻の一つであり、文学においては琵琶法師が語った平家物語が有名です。
鎌倉時代の文化は、宋と武士の影響を受けながらそれまでの公家文化との融合もあって独自の発展を遂げた文化でもありました。