鎌倉時代は相撲が奨励された時代だった?

相撲は現代の日本では国技として続いています。

鎌倉時代においても、相撲は人気の国技だったことをご存知でしょうか。

スポンサーリンク
kamakura-jidaiレクタングル大

源頼朝が相撲を奨励したって本当?

相撲は誰もがご存知の通り日本の国技とされているスポーツです。

相撲の歴史ははるか大昔にさかのぼるとされており、古事記には二人の神様が相撲で競い合ったということが書かれてあったり、日本書紀の中でも天皇の前で相撲をする姿が描かれているなど、現代だけでなく古来においても愛された国技とされています。

それは、鎌倉時代においても同じことだとされていました。

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、相撲を奨励して武士たちにもやらせたとされています。

相撲は武芸であるとともに古来より神道における神事として扱われてきたため、鶴岡八幡宮において流鏑馬などと同じように行われていたのです。

その当時の鎌倉時代には、御家人の中に相撲に強い武士がいたことから、源頼朝自身も相撲見物を非常に楽しんで見ていたようです。

なぜ武士たちに相撲をやらせたの?

鎌倉時代に源頼朝に奨励された相撲ですが、源頼朝は武士たちに対しても相撲をするように求めたとされています。

なぜ、源頼朝は武士たちに相撲をやらせたのでしょうか。

その理由としては、相撲が武士の心身を鍛えるのに効果的であり、また戦いに使うことが出来るなど多くのメリットがあったことから武士にも盛んに取り入れられたとされています。

鎌倉時代、戦国時代にかけてはただ武芸や心身の鍛錬のために行われてきた相撲でしたが、江戸時代となって平和な時代が訪れると相撲は武芸としてではなく、庶民の娯楽へと発展することとなります。

確かに、今現在の相撲のようにある程度屈強な男性が相撲を取ってよい勝負をするようにならなければ面白みがないと言えますので、相撲を取る方から徐々に見る方へ移行していったのも理解できるのではないでしょうか。

明治時代には廃止される危機があった?

余談になりますが、これだけ長い歴史があり鎌倉時代においても推奨されていた相撲ですが、実は明治時代に一度廃止される危機があったことを知っている人はどれくらいいるでしょうか。

幕府が滅亡し明治時代となると、諸外国から多くの外国人が日本に訪れるようになりますが、その中で裸で戦う競技である相撲は野蛮だとして、「裸禁止令」によって東京の力士は罰としてむちうちの刑に処されるようになります。

諸外国と肩を並べて交流したいと思っていたその当時の明治政府は、外国人が顔をしかめるような裸の国技をなくそうとしたのでした。

この際には、「相撲禁止論」などの論争も繰り返され相撲がなくなる危機を迎えていたのです。

そこで、相撲が消滅しないように尽力を尽くしたのが相撲好きで知られた明治天皇と伊藤博文でした。

もし、彼ら二人の相撲に対する愛情が故の努力がなければ今現在の日本において相撲は国技でなかったかもしれませんね。

スポンサーリンク
kamakura-jidaiレクタングル大

kamakura-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする