平安時代の末期に活躍、鎌倉時代に大きく影響を与えた平清盛とは?

平安時代の末期に活躍した平清盛はどのような人物だったのでしょうか。

また、鎌倉時代にはどんな影響を与えたのか考えてみましょう。

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平清盛ってどんな人?

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、それまで貴族中心だった世の中から徐々に武士たちが力をつけて活躍するようになります。

その中でも平清盛は、平氏のリーダー的存在であり、その当時のライバルであった同じく武士として力をつけていた源氏を抑えて、中央政治の世界へと進出します。

その際に、太政大臣へと任命され平氏一族をすべて朝廷の重要な役職に就けたり、500もの荘園を自分の所有とするようになります。

そのやり方が武士の不満を買い、結局は源義経に倒されてしまうのですが、様々な点から平清盛が鎌倉時代に与えた影響は大きいとされているのです。

実は温厚な性格?平清盛の本性とは?

力強くたくましいリーダーのイメージがあるとされている平清盛ですが、実は性格が温厚で非常に優しい人でもあったことをご存知でしょうか。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の父である源義朝と、平清盛は実はともに保元の乱で戦ったとされており、この勝利によって貴族中心の政治は終末を迎えることになります。

ただ、源氏の武士であった源義朝と平氏の武士であった平清盛はどこかで争う必要があったのか、源義朝は保元の乱の際に自分の褒賞が少なかったことに不満を持って平清盛が京都から離れている間に挙兵しますが、平清盛は後白河上皇を助け出し、平清盛の権力はますます強くなったのです。

平治の乱において源義朝を倒した平清盛でしたが、本来相手方の家族や一族というのは後に力をつけて自分を倒す可能性があることから、ひとり残らず殺してしまうのが鉄則です。

しかし、父を失ったばかりの幼い子どもたちを不憫に思ったのか、源義朝たちの子供を殺すことなく伊豆に流すという形で監視することにしたのです。

また、源義経の母であり源義朝の側室であった常盤御前を自分の側室として、その常盤御前を通じて子供たちを養うことにしました。

結果的に、源義朝の子供である源義経によって倒されてしまうことになるのですが、本当は源義朝の子供が父親の仇である自分を倒してくれる日を、心待ちにしていた温厚なところもある人だったのかもしれませんね。

平清盛が鎌倉時代に与えた影響は?

平清盛は鎌倉時代に入る前に亡くなってしまうのですが、鎌倉時代に与えた影響は非常に大きいとされています。

平清盛を語る上で欠かせないのが日宋貿易とされていますが、もともとは日宋貿易を発展させたのは平清盛ではないことをご存知の人はどれくらいいるでしょうか。

日商貿易を鎌倉時代に続くまで発展させていったのは、平清盛の父である平忠盛であったとされています。

平忠盛は武士でありながら非常商才があった人であり、本来なら大宰府を通して日宋貿易を行わなければならないところを、鳥羽上皇から院宣を賜ったと偽装して日宋貿易を自分の思うままに動かすことに成功するのです。

父である平忠盛の商才を間近で見ていた平清盛は、日宋貿易が金儲けとして役立ちまた平氏の権力をより一層強めることが出来ると考え、日宋貿易を平氏指導の下で本格的に推し進めるようになるのでした。

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