鎌倉時代の文化の特徴、宗教が庶民のものに?

鎌倉時代には様々な文化があり特徴があるとされています。

その中でも、宗教にはどのような特徴があったのでしょうか。

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元々宗教文化は偉い人だけのものだった?

当然鎌倉時代以前の時代から宗教文化というのは根付いていたものの、それは全人間のためのものではなかったとされています。

元々宗教というのは天皇や貴族、公家など偉い人向けのものばかりでした。

そのため、庶民や武士などにとっては理解しがたいものが多くなかなか浸透されなかったのですが、それが鎌倉時代に入ると一気に変わってくるとされています。

仏教は、すでに鎌倉時代以前の6世紀ごろから渡来してきていましたが、あくまで天皇や貴族など権力者と深いかかわりがある文化であり庶民にとっては縁遠い文化でした。

それが、鎌倉時代に入ると仏教は庶民にも広がるようになり、やがて数多くの宗派が生まれるようになるのです。

鎌倉時代に生まれた宗教ってどんなものがあるの?

では、実際に鎌倉時代に生まれた宗教文化はどんな宗派があったのか考えてみましょう。

まず、法然が唱えた浄土宗は「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽浄土に行けるというもので、浄土宗を発展した形になったのが親鸞が始めた浄土真宗であり、後に一向宗と呼ばれるようになります。

その他には、踊り念仏によって極楽浄土に行けるという一遍が唱えた時宗、法華宗とも呼ばれた日蓮宗などもありました。

その中でも、曹洞宗と臨済宗は座禅を組んで行う禅宗に分類され、ただ念仏を唱えれば極楽浄土に行ける浄土宗や日蓮宗などは庶民に広く受け入れられたのに対し、禅宗は権力者に多く広まったとされています。

なぜ宗教文化は庶民に浸透していったの?

鎌倉時代以前まで、宗教文化は庶民にとって縁の無いものとされていたのに、なぜそこまで仏教が庶民にも浸透していったのか気になるところです。

庶民にも仏教が浸透した理由としては、いくつかのことが考えられると言えます。

まず、当時の庶民は世の中の戦乱に巻き込まれ命を落としたり、飢饉によって餓死者や病気のものが増えるなどして命が失われることが多かったとされています。

絶望する庶民の縋る対象として、念仏を唱えるだけで天国に行けるなどの仏教信仰は、さぞかし庶民にとっての救いの手だったのではないでしょうか。

そして、それまで天皇や貴族が中心だった世の中だったのに対し、鎌倉時代に入って武士が中心となる世の中になったことも宗教文化が庶民や武士の間に広まった大きな理由の一つと言えるかと思われます。

武家政権となり、武士が台頭する世の中になると、武士たちはそれまでの貴族や天皇のための仏教ではなく庶民のため、自分たちのための宗教、仏教文化を作ることを目的としていました。

その流れに刺激されたことによって天皇や貴族など位の高い人間にこびへつらうことなく、庶民のためにこそ力になりたいと考える僧が増え始め、それが結果的に武士や庶民にも広がり、鎌倉時代の宗教文化の特徴となったのではないでしょうか。

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