鎌倉時代の守護と地頭の違いって何?

鎌倉時代は将軍や国を守る御家人たちには様々な役職がありました。

その中でも、守護と地頭の違いについて考えてみましょう。

スポンサーリンク
kamakura-jidaiレクタングル大

守護ってどんな仕事?

鎌倉時代の御家人の仕事として、守護と地頭という仕事がありましたがその違いはどんなことなのかご存知のない人も多いのではないでしょうか。

では、まず守護とはどんな仕事だったのかについて考えてみましょう。

守護は、主に国の警備を司る仕事として設置され、大犯三か条が主な仕事だったとされています。

大犯三か条とはどんな仕事なのかというと、一つは殺害人の逮捕、もう一つは謀反人の逮捕、そして朝廷のある京都の大番役に自分の配下の御家人を選任して管理する大判催促という仕事でした。

地頭との違いとしては、地頭が年貢や土地の管理を任されたのに対し、守護は国を管理して治安維持に努める仕事という違いがあると言えます。

そして、室町時代になる頃には守護が経済的にも権限も力をつけてくるように変化すると、最終的には守護大名へと拡大化していったとされています。

鎌倉時代の地頭の役割

鎌倉時代における地頭の役割としては、どんなことが考えられるのでしょうか。

地頭の仕事しては朝廷が管理していた土地である公領や、貴族や僧侶などが管理していた荘園などを管理するための役職だったとされています。

公領や荘園の軍事の警察や管理の他に、年貢の徴収や行政を行うのが主な仕事で、御家人が任命されました。

地頭の支配の方法としてはそれを任命されている御家人たちが武士であったことから暴力的に紛争を解決することが多かったとされており、「泣く子は地頭に勝てぬ」ということわざもあるようになかなり乱暴であり、抵抗する百姓に対して強引に脅したり挑発するなど今では考えられない方法で紛争を解決する傾向があったとされています。

なぜ守護と地頭を設置したのか

このように、一見それ程違いがあるように思えない守護と地頭という仕事ですが、実はこれらの役職が設置されたのには理由があるとされています。

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、後白河天皇の許可を得て全国に守護と地頭を設置することとなったのですがその理由が源義経の逮捕でした。

しかし、それはあくまで表向きの理由であり、源頼朝の本当の目的は自分に味方する御家人を全国に配置して幕府の力を強めることだったとされており、そのために全国に守護と地頭を設置する必要があったのです。

守護も地頭も、鎌倉時代においてなくてはならない役職だったのですが、守護と地頭の存在意義に徐々に違いが出始めるのが、室町時代とされています。

地頭よりも守護の権限が強くなっただけでなく経済力も増したことから、鎌倉時代から続いた地頭の役職もついには消滅する結果になったのです。

スポンサーリンク
kamakura-jidaiレクタングル大

kamakura-jidaiレクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする