鎌倉時代における身分制度は?

鎌倉時代には、身分制度というものはあったのでしょうか。

江戸時代の士農工商のようにはっきり分かれていたのかについて考えてみましょう。

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鎌倉時代に身分制度はあったの?

江戸時代には、士農工商という身分制度があり作物である米を作りそれを年貢で納める農民は武士の次に偉い身分とされていましたが、経済的には商人などの方がはるかに豊かだったとされています。

では、江戸時代よりはるかに以前の鎌倉時代には身分制度のようなものはあったのでしょうか。

結論から言ってしまうと、天皇や貴族など飛鳥時代や奈良時代、平安時代などから代々続く身分の振り分けはあったとされていますが、実際に江戸時代のような天皇や貴族以下の身分についてははっきりしていなかったとされています。

鎌倉時代においても、最も人口が多かったのは農民層であったもののそもそも国に存在する土地や人民は天皇や貴族のものであったという考え方がずっと続いたままだったため、あくまで身分があったのは支配階級の人間だけであり、一般庶民は身分さえなかったのではないでしょうか。

御家人もそもそも農民だった?

ただ、鎌倉時代は天皇や貴族だけが政治を行っていたのではなく政権を実際に握っていたのは武士でした。

源頼朝は、武士による武士のための国作りのために彼らに土地を与えて御恩と奉公の主従関係を結び鎌倉幕府の力をつけていったのです。

その主従関係を結んでいた御家人の身分ですが、もともとは御家人である武士たちも鎌倉時代以前は農民であったのをご存知でしょうか。

鎌倉時代より以前は、今でいう警察のような治安を守ってくれるような存在はおらず、せっかく開墾した土地や財産を野党や盗賊に盗まれてしまう農民たちも多かったとされています。

そのため、自分たちが精魂込めて耕し開墾した土地を盗まれないようにするために、農民たちで自衛団を作るようになりますが、これが武士の始まりであったとされています。

つまり、御家人と呼ばれている武士たちはもともとはその農村の地主が自分たちの土地を守るために武装した武装農民だったのです。

鎌倉時代は結構いい加減?身分は曖昧だったって本当?

では、武装農民から徐々に武芸に励み腕を磨いて武士となった御家人たちですが、鎌倉時代となっても武士層と農民層の境目は非常に曖昧だったとされています。

守護や地頭などの役職ついていたり、朝廷で大きな役目をつかさどっている御家人は別でしたがそれ例外や田舎の地域などでは農民が刀や槍を持って武装すれば武士となったわけですし、普段は自分たちの農村で畑を耕しているため、武士といえども生活は農民とあまり変わらず、しかも質素に過ごしていたとされています。

鎌倉時代はこんな感じで曖昧だった身分制度ですが、それがはっきりとするようになってきたのが安土桃山時代です。

豊臣秀吉は、刀狩令を発布し農民から武器を取り上げることで一揆などに備えましたが、これは別の面からみると武士と農民の区別がはっきりついたことでもあります。

この流れは徳川時代になってもそのまま継承され、やがて江戸時代に入ると士農工商の身分制度が始まり身分の固定化がされることになります。

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