鎌倉時代の民衆の生活はどうだった?

武士が台頭し武士政権となっていた鎌倉時代ですが、同じ時代に生きた人々の生活はどのようなものだったのでしょうか。

武士以外の民衆はどのように過ごしていたのか考えてみましょう。

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鎌倉時代の民衆ってどんな人々?

鎌倉時代に武士たちとともに同じ時代を生きてきた民衆のほとんどは、農民だったとされています。

そもそも、武士自体が自分たちの土地を守るための武装農民であったり自衛団だったため、武士と民衆といってもそんなに違いはないのかもしれません。

多くの民衆、つまり農民のほとんどは荘園に住んでおり、武士やその荘園の地頭によって年貢を納めるように義務付けられたり様々な雑用を行っていたとされています。

そんな農民の多くの生活は非常に苦しく、住んでいる家も掘っ立て小屋のようなところに住んでおり、粗末な着物を着て生活していたとされています。

農民以外にはどんな民衆がいたの?

鎌倉時代を生きた民衆は、何も荘園に住んでいた農民だけに限りません。

大きく分けると、農民、漁民、商人が存在しその中でも農民は民衆の半数を占めていたとされています。

一般庶民というとこの農民のことを指すのかもしれません。

漁民については、日本は縄文時代や弥生時代の頃より海で魚を取ったり貝を取るなどして食べていた習慣があったのですが、鎌倉時代やそれ以降の室町時代となると魚の流通ルートができ、一部だけで食べられていた魚介類が様々なところで食べられるようになり、それによって漁業産業も拡大化していくようになります。

そのため、今も漁師さんがたくさんいるように鎌倉時代においても魚を取って生計を立てる人はたくさんいたのではないでしょうか。

商人といえば、お店を構えて商品を売っているというイメージが強いかもしれませんが、お店を構えるほどの商人はごくわずかでありほとんどの商人は露店で商品を並べて商売をしており、市を開くことも多かったとされています。

地域の名前で「市」という文字が付くところは、昔そこで市が開かれていた場所の名残の名前とされているようです。

武士より金持ちの民衆もいた?

鎌倉時代の多くの民衆を占める農民が苦しい生活を強いられていた一方で、場合によっては武士よりも良い生活をしていた民衆もいたことをご存知でしょうか。

鎌倉時代に入って社会が少し安定すると、ただ自給自足のために作られていた作物は、商品を作ってそれを売り買いする目的で流通するようになり、やがて貨幣経済へと発展していきます。

農業だけに限らず、染物屋や織物業者、鍛冶屋などの仕事も発展していき、品物同士での物々交換が面倒になるとそれを貨幣との取引で終わらせるようになってきます。

そうなれば、当然世の中でお金が流通することになるため、中には金貸しなどの職業も生まれるようになるのです。

元寇によって武士が褒美をもらえず困窮した際、そういった金貸しに借金をして生活していたため、幕府は元寇における恩賞の代わりに永仁の徳政令を発布し武士の借金をチャラにする法律まで作ったのです。

仕事とは言え、武士にお金を貸すくらいの余裕があるのですからその生活は武士よりもさらに良かったのではないかということが推測できるのではないでしょうか。

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