源実朝暗殺の経緯と舞台となった大銀杏の今は?

鎌倉幕府第3代将軍・源実頼は若くして甥に弑されるという不幸な最期を遂げました。

今回はその暗殺劇の経緯と、舞台となった鶴岡八幡宮の大銀杏についてご紹介していきます。

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源実朝、将軍即位の経緯

源頼朝という大黒柱を失った鎌倉幕府、第2代将軍は頼朝と正妻・政子の息子である頼家に決まりました。

ここで頼朝時代からの重臣・御家人たちの権力争いが始まります。

急速に力をつけてきたのは、2代将軍頼家の嫁・若狭の局の実家の比企氏でした。

そしてその状況を快く思わないのが、北条政子の実家・北条氏で、特に政子の父・北条時政は、頼家が比企氏の血を継ぐ息子・一幡に後を継がせようとしていることが許せないのです。

それは、一幡が将軍になったら、御家人のトップが北条氏から比企氏になってしまい、北条氏は政治の実権を握ることができなくなるという理由です。

そして頼家が病に倒れたころから、頼家を蹴落とすための北条氏の策略が激しくなります。

鎌倉で頼家の後ろ盾であった比企一族が滅ぼされ、頼家は北条政子の手によって伊豆の修善寺に押し込められ、翌年には刺客に襲われて絶命してしまいました。

そして12歳の第3代将軍・源実朝が誕生、初めから北条氏に振り回されての就任でした。

源実朝、甥に暗殺される

源実朝は都の公家文化に親しみ和歌に熱中し、政治的な活動には関心がなかったとされていますが、初めから実権を北条氏に握られていたことから、政治に介入する余地がなかったと思われます。

朝廷との結びつきを強めることを願う実朝は昇進を続け、武士として初めて右大臣に就任しました。

健保6年(1218年)、実朝は右大臣就任を祝うために雪の降り積もる中を鶴岡八幡宮に拝賀しますが、その帰途境内で悲劇が起こりました。

先代の将軍頼家の息子・公暁が、大銀杏の木の影から躍り出て「親の仇」と実朝に斬りかかり、実朝は絶命したのです。

その公暁もすぐに斬られてしまったことで、暗殺の動機や背景などは未だに謎のままで、現在でも様々な説が流れています。

いずれにしてもこの事件で、源氏の血統はわずか3代で途絶えることになり、これ以後傀儡の将軍の傍らで北条氏が実権を握ることになるのです。

公暁の隠れ銀杏

伝承では、公暁が銀杏の木の後ろで実朝の様子をうかがっていたと伝わっていますが、これは江戸時代に生まれた話だとされています。

大銀杏は樹齢1000年とみられていることから、実朝暗殺当時の銀杏の木は人が隠れるほど大きくなかったと推測され、本当は鶴岡八幡宮の社殿の中で襲われたとも伝わっています。

静御前が舞い、流鏑馬が行われ、そして実朝暗殺を経て鎌倉幕府の滅亡の歴史を見守ってきたこの大銀杏でしたが、平成22年(2010年)に、強風のために倒れてしまいました。

倒れた大銀杏の幹は切断されて移植され、元の場所の穴が埋められて根から新芽が出るように整備されました。

そしてその後、残った根の部分から新芽が出たことが確認され、現在では若芽が成長を続けています。

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