小倉百人一首の歌「世の中は…」に込められた源実朝の想いとは?

優しい人柄で、政治よりも和歌に没頭し、優れた歌を詠んだとされている、第3代鎌倉幕府将軍・源実朝。

今回はその実朝の作った歌、そして和歌との関係についてご紹介していきます。

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小倉百人一首に選ばれた源実朝の歌

小倉百人一首とは、藤原定家が京都の小倉山荘で選んだとされる秀歌集です。

小倉百人一首に採られた100首には、1番の天智天皇から100番の順徳院の詩まで、各歌に和歌番号が付されており、この並び順はおおむね古い歌人から新しい歌人の順とされます。

源実朝の詩は93番で、詠み人は「鎌倉右大臣」となっており、源実朝はこの歌以外にも多くのすぐれた歌を詠みました。

「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の 小舟の 綱手かなしも」

この歌の「世の中」とは、現代で使われている「世の中」の意味ではなく、「今自分が生きている世界」という意味だとされます。

歌の意味は、

世の中の様子がこんな風にいつまでも変わらずにいてほしい。

波打ち際を漕ぐ漁師の小舟の引き網を見ると、その普通の光景すら切なく思えてしまう。

という、実朝の切ない思いを表した歌とされています。

「世の中は…」に込められた実朝の想い

現代でも、平和なシーンを見ると「このような平和な世の中がいつまでも続けばいいな」という心境になります。

実朝が詠んだこの「世の中は…」は、そういった日常の光景を見た時の感情の現れだとされ、実朝の優しい性格が表れていると思われます。

実朝の詩は、雄壮でのびのびとした万葉の香りがする作風が特徴で、現代にも通じるようなセンスのある鋭さが魅力です。

明治時代の俳人・正岡子規は、「歌よみに与ふる書」という評論の中で、源実朝は柿本人麻呂以来最大の歌人だと絶賛しています。

また太宰治の小説にも「右大臣実朝」というものがあり、実朝を寛容で聡明な人物、そして実朝を囲み権力に固執する人物を「卑しい」としています。

そこには、望まない権力争いに巻き込まれ、若くして暗殺されてしまった天才歌人・源実朝の、本当の姿が見えてきます。

源実朝が、和歌に傾倒した理由と背景とは

源実朝が将軍になった時代は、源頼朝が鎌倉幕府を開き、その後政治の実権が源氏から北条氏に移っていく過渡期でした。

実朝は政治に関心を持たず、歌ばかり詠んでいた、と評されることが多いのですが、実は実朝本人が初めから政治に無関心だったわけではないとされています。

実朝は将軍職に就いても自分の思うように政治を執ることができず、実権は北条氏に握られ翻弄され続けた結果、和歌の世界に傾倒していったと推測されるのです。

実朝自身、源氏の血統は自分で絶えてしまうと予測し(結局はそうなってしまった)、その前に自分の官位だけでも高めておきたい、という言葉を残しています。

自分を取り巻く現実と境遇を、客観的にそして冷静に判断していた源実朝は、多くの実績こそ残していませんが、当時の時代背景とも相まって、とても興味深い人物そして生涯だったのではないでしょうか。

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