鎌倉時代に今日の和菓子の原型ができた?

お茶の席で今や当たり前のように食べられている日本古来の和菓子は、実は鎌倉時代に原型ができたとされています。

鎌倉時代にいつどのように和菓子の基盤が作られたのか、その歴史を考えてみましょう。

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和菓子のそもそもの始まりは「唐果物(からくだもの)」

お菓子というものが日本に伝わったのは奈良時代、仏教の伝来とともに遣唐使が持ち帰った唐果物(からくだもの)が始まりであり、大豆や穀物、米や麦などを上げたりこねたりして作られており、主に祭事用に用いられるのが一般的だったとされています。

様々な特徴のある形をしており、また形によってそのお菓子の呼び名も異なっているため目にも楽しいお菓子だったされており、神仏などのお供え物はもちろん、貴族たちの饗宴などで食べられるのが主であり、高価で貴重だったことから庶民の口に入るようになるのはもっとずっと後の時代のようです。

そして、この唐果物がいわゆるお菓子のルーツであり、また日本の和菓子だけでなくお菓子文化に大きな影響を与えたとされています。

和菓子の原型は鎌倉時代の点心が原型?

和菓子といえば、甘いねりきりでできた色鮮やかな美しい形を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

和菓子がその形になる原型を作られた時期が、まさに鎌倉時代とされています。

なぜ、鎌倉時代に和菓子の原型が作られたのかというと、喫茶が流行したことが関係しているようです。

お茶は、鎌倉時代の初期に栄西禅師という人が大陸から持ち帰っていたのですが、そのお茶によって喫茶の観念が広がったことで茶の湯が大流行するのです。

また、鎌倉時代に禅宗とともに伝わった点心や茶の子が、今日の和菓子の原型となったという説があります。

点心といえば、香港や中国などで食べられる小籠包やシュウマイなどの軽食ですが、同じように羊や亀のなどの肉を入れた肉まんのようなものを汁物にしたのがその当時の点心であり「饅頭(まんとう)」と呼ばれていました。

しかし、仏教の影響によって殺生を禁じていた鎌倉時代の日本では、肉を入れる代わりに植物性の食材を入れるなどして工夫をしたと言われています。

羊羹や饅頭も、この中国から伝わった「饅頭(まんとう)」と呼ばれる点心が原型とされており、そこに餅や果物、昆布などが加えられ、茶の湯の発展に合わせてお茶うけに良いとされる「茶の子」として親しまれるようになったとされています。

つまり、喫茶や茶の湯が流行しなければ今日の日本の和菓子も存在しなかったのかもしれません。

今現在の色とりどりの和菓子の形となるのは、鎌倉時代を経てもっと後の時代の江戸時代にまで待つことになります。

抹茶は最初薬として持ち込まれた?

日本では、抹茶を使った和菓子やお菓子が一般的となっており、海外でも日本の代表的なお菓子の素材といったら抹茶という外国人も多いのではないでしょうか。

エジプトにおいて、チョコレートやカカオが疲労回復や滋養強壮の薬として用いられていたのと同じように、今では日本の和菓子の素材の定番である抹茶も、鎌倉時代に日本に持ち込まれた当初は薬として紹介されたようです。

中国では救命の薬として用いられており毒消しなどにも使用していたとされています。

鎌倉時代に喫茶が流行し、薬としてではなく普通に引用として飲まれるようになり、喫茶や茶の湯が流行することでその欠かせないお供でもある和菓子が一緒に発展していったのも分かるような気がしないでしょうか。

現在でもお茶が健康食品といわれる所以は、そんなところにあるのかもしれません。

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